ソフトウェア開発のいろいろ

ソフトウェア開発のいろいろなこと一歩引いた位置から

No.166 「出来る人」を作るって

 

・「出来る人」になった人は、自分でなっている

 ソフトウェア開発における開発者自身の力量は、品質や納期を左右します。
 中には「達人」と呼ばれる人がいて、納期も品質も見事にカバーしてしまったりします。
 そして、間に合わなかったり、品質問題を出してしまうと、「うちのソフト屋はダメ」という評価が下されたりします。
 人がダメなことが原因と判明し、ダメであることも評価できるなら、なぜその問題は改善されないのでしょうか?
 
・「出来る人」にはどうやってなる?

 恐らくは覚悟とか決意とか、そう言ったもので、それまでの自分と決別してより高いレベルのソフトウェア開発を行う日常に身を置くという努力をし続けている人だけがそこに至れる感じがしています。
 よりたくさんの注意を払い、より多くのリスクを鑑み、さらに違う個所のソフトウェアとの汎用性を考えたりしなくても、目の前のそれを動かすソフトウェアは作ることが可能です。
 しかし、「出来る人」はそんな低レベルの環境に身を置くことを良しとしません。だから、人に強要されるのではなく、自分でなるのでしょう。

 

・全員を「出来る人」にできるか?

 そこに至った人自身、自分が完成された存在だと思っていないと思います。だから、凄い訳なのですが、本人に凄いという自覚はないでしょう。
 意図的に「出来る人」を作れるかということですが、技能よりメンタルなので、おそらく作れないでしょう。作れもしない人がうちのはダメとか言っているの組織があるのは、悲劇を通り越して喜劇なのでしょうね。
 もちろん全体のレベルを底上げをする手段はあります。しかし義務で縛る方式ではおそらくはある程度が限度だと思っています。いやだと思う人は、どんな手を使っても手を抜きますので、全体統制には限度があるのではないか、個人的はそう考えています。