・品質の悪さは簡単に示せるが、良さは簡単に示せない
品質が悪いというのは簡単です。不具合一つあれば、実証できます。
ところが、品質が良いというのは、不具合が0であることが証明できないことが示すように、簡単ではありません。
品質を良くするというのも、まだ見えていない悪さがどこにあるかわからないのに改善するのは困難で、とにかく大変なことなのです。
・品質を良くしろと言うのは一言だけど
品質が良くなったことを示すのが困難なのは前述の件を含めて、指標を決めることが困難なので、よくなったと証明できません。
不具合の指摘がない理由がだれも使っていないからでは、しゃれにもなりません。
品質を語るなら、日々の努力が欠かせないのですが、この部分を全く理解しない人が多くいます。
ソフトウェアの管理に労力を掛けないということがどれだけの損失を生むかわかっていないのであれば、相当にまずいです。
・管理させたければ、経営者が管理する尺度を示すべき
管理対象に報告義務がなければ、しなくていいと言っているのと同じです。
でも、知らないことを一生懸命に説明されても、何のことだかわからないというのでは、困ります。
だから、管理する尺度、自分が良いと悪いをこれで決めるという尺度を用意します。
その説明を受けて、悪かったらその理由を聞き、それが改善されたかどうか判断する尺度を決めます。
この繰り返しができないと、何も変わりません。管理者や経営者は、すべてがわからなくても、どんな案件でも評価尺度を示しその報告をさせないと丸投げと変わらない状態になると思います。
結局、俺にわかるように報告しろ と言えるかどうかで管理がされるかされないか決まります。
まあ、その辺を怠っている偉い人でも、品質の悪さは簡単にわかるので、すぐに言えてしまいます。
「ソフトウェアの品質が悪いな!」
ってね。
不幸の連鎖を断ち切るために、弱き者が流す血の量は計り知れず、結果、現状維持が関の山とかになっているのかもしれません。
結局、投資なきところに配当なしってことでしょうか。
今助からなくても、先々のために僅かずつでも貯えを・・・これもできない人の方が普通なんでしょうね。