新幹線のニュースは恐ろしい話である。人をはねないようにできればいいのだが、はねても運行を続けるとは信じがたい。
多分、JR東海ならその場で対処しただろう。(台車の亀裂で止めた事例より)
何かが起きても運行を維持することが優先された事態に、人が倒れていく開発現場の記憶がダブる。
開発者が倒れても、開発は止まらず動き続けていく、人がいなくなって歪んだ開発体制のまま、軋みが残った人間を更に苦しめていく。
その判断は、本当に適切なのか、何を守るのが本当の正義なのか。
残念ながら、正義とは相対的なものに過ぎない。
適正な開発ではいけないのだろうか?
それでは儲からないのだろうか・・・・。
滅私奉公というのが日本の根幹にあるような気がするが、今の日本にこのやり方は危険である。
人が倒れ続けるなら、人が倒れることはその組織では改善の対象となる問題ではないのである。
人の心が壊れ続けるなら、人の心が壊れることはその組織の改善の対象となる問題ではないのである。
ソフトウェア開発は人が行うものである。
間違うことも人にはある。
だから、それをカバーできるプロセスが必要なのである。
守られないプロセスはプロセスではない。
使い手を幸せにするのがメーカーの使命である。それは決して作り手の不幸の上に成り立ってはならない。
Win-Winというのは綺麗ごとかもしれない。
だが最初から目指さないのはおかしいのである。
働くことは生きることなのである。