ソフトウェア開発のいろいろ

ソフトウェア開発のいろいろなこと一歩引いた位置から

No.7 無謀な要求に、児童虐待と同じものを感じる

 

 痛ましいニュースを見て、心が痛むが、自分できることがないことも同時に思い知る。

 本当に子供は自力でその地獄から抜け出すことはできない。しかし、大人も得てしてそういった状況に陥ってしまう。
 ブラック企業と呼ばれるようなところで、身を粉にして働いても、無理な要求に応え切れないことばかり続き、高い評価も得られない状態が続いて尚、逃げ出せない状態になることが大人にもあるのである。

 人というのは、見えていないことはイメージの中で完全なものとして補填してしまう傾向がある。
 これの一番たちの悪いものが、「ソフトはわからない!」とか言って、見ようとしない人である。

 こうした人が経営層の中にいて、恥ずべきことでなく、自慢のようにこれを言う人がいる状況は、望ましくない。

 たいていこういうことになると、ソフトウェア開発現場は仕事というより修羅場という状況になるようである。
 そして当然、結果が出ないので評価が低い。

 そして「うちのソフト屋は出来が悪くて!」のような言葉となる。
 これが原因だというのであれば、仮にも経営層が問題点がわかっていて対策しないのは、怠慢のはずである。
 しかし、その責任が追求されない状態であることがそういう発言があるようなら汲み取るべきである。

 問題が放置される。児童虐待が続くのと同じである。理由は「昨日まではそれでもよかった」からである。

 では改善をと考える人も居るだろう。専門家を呼んできて、対策を望む。しかし、無謀な計画は変わらず、改善するのだから、納期も品質も守れるだろうと迫ってくる。
適正なものは何か見ようとしないで、要求だけを通そうとするのは経営者ではなく、ただの顧客である。

 理由もなく悪いものなどない。

 良い理由は昨日まで大丈夫だったからでもない。

 勝つべき戦いに勝つべくして勝つことが、適正な計画と実践である。
無謀な望みを、圧力と悪戯な正論で弱者に強いることなどではない。

 ものづくりは、その成果を手に入れた人間の生活を変えるものである。ゆえに人の人生を変えるほどの尊い行為なのである。
 自信と誇りを持って、ものづくりを行い、自己研鑽に勤め、知的労働者としてスキルアップしていかねばならない。

 個人の成長まで会社に責任を取って貰おうと言うのは虫が良すぎるとは思うが、劣悪な環境に長く身をおくとスキルアップが達成されず、実力が世間的に通用しなくなり、圧力と暴力的な正論に封じ込められ、逃げることもできなくなる。

 経営者がわかってこれをしていると考えざるを得ないときがある。


 どのような状況にあっても、仕事だけで限界になってしまってはいけない。
 知的労働者はそうでなければならない。我々は無力な子供であってはならないのである。