性悪説を前提としても、最初から悪意のある人には簡単には勝てないものです。
無差別に人を襲うような悪意のレベルには、日常的なものでそれに対応することはできないと改めて自覚するほかありませんでした。
モノづくりにおいて、使う人がこちらの意図通りに使ってくれると言うのは、作り手の甘えが若干でてしまう話で、使い手はもっと良い手はないかと絶えず探しているようなものですから、作り手の想定を超えてしまうこともあったりします。
悪意ではないレベルでもこうしたことがあるのです。
これに環境要素が加わると、何が起きるのか、本当に作り手の想定内に事が収まっているのか、怪しくなる部分も出てきます。
だから、おかしくなってもいいわけではないのですが、想定できるかどうかは本当に難しいのも事実です。
悪意のある人に勝てないのはある程度仕方ないとしても、悪意のない人は守らないとなりません。
モノづくりは、修験道の如く、際限なく高みを目指す宿命を背負っているのかもしれません。