ソフトウェア開発のいろいろ

ソフトウェア開発のいろいろなこと一歩引いた位置から

No.6 契約で揉める人がいて

 

 最近、芸能人の事務所との契約問題がよく報道される。

 まあ、一つの事柄に対して、片方が今回は我慢して対応したとする。それを相手がどう取るかで、その後の話は変わる。
 相手は一方的に勝利したとして、相手側を制圧したかのうように、強気に出てくるパターンが1つ目。

 悪いなあという思いで、次は譲歩してくれるパターンが2つ目。

 おそらくビジネスでは引いた方が負けである。

 結局、出来もしない約束を、作りもしない誰かがしてしまい、その嘘を全員で本当にしようと頑張ったものの、無理を通り越して無茶な話では到底勝ち目はない。

 こんなことがまかり通るようなら、開発者は人ではない。ほぼ奴隷である。
 まあ、会社という組織が、ほぼ軍隊的で従いさえすれば、終身雇用で保護された時代はそのようなケースがあったが、今ではそんな会社では、開発者が居つかない。

 こうした組織では、過去の自分たちの成功体験から抜け出せず、旧態然とした経営者が多くいる場合が多い。
 それでも、経営者に新しいものを受け入れる度量があるのであれば救いもあるが、出てこない敵には、諸葛孔明でも勝てなかったのである。

 かくして、無謀な計画らしきものに、穴の空いた船で漕ぎ出し、前に進むため、穴をふさぐのではなく、水をかき出し続けて進むしかなくなる。

 はっきり言うが会社は簡単にはつぶれない。
 一定数、状況に流される人材はいて、改革は望むが、自分では何もせず、ぼやきつつも、流されていくのである。

 故に、一定数残るのである。旧態然とした会社も経営者もである。

 血を流さない革命ができれば理想的であるが、民生品のメーカーはリコールという莫大な痛手という血を流して改革してきた部分もある。

 それに直面しない会社もある。
 それは単に優れているということではないからかもしれない。

 なら、何から直すべきか、考えねばならない。今日のひと手間が明日の自分を救い、その積み重ねがチームを救う。
それが旧態然とした経営を救うことになるのかもしれないが、知的労働者としての誇りは譲ってはいけないと考える。

 会社に頼らない実力を身に着けることが、知的労働者の心構えと、とりあえず考えている。
 そうすれば、会社の枠からはみ出した選択肢が自分に見えてくるからということもある。